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手術に使用する「糸」について

2017.11.02(木)

手術の際には、血管を縛ったり、切開した組織や皮膚を縫合するために色々な種類の手術用「糸」を使用します。目的に合わせて、一番適切な糸を選択して使用するわけですが、実際には糸の使い方は獣医師や病院により異なります。もちろん「どのような場合にどのタイプの糸を使用するべきか」という原則はあるのですが、その常識は時代とともに変化します。
「たかが糸」と思われるかもしれませんが、手術に使用した糸の種類によっては術後の感染症、糸に対するアレルギー、異物反応による肉芽腫の形成、炎症、癒着、離開など様々なトラブルが発生する場合もあります。もちろん、たとえどのような糸を使用したとしても、生体にとって「糸」は結局のところ「異物」には違いありませんから、術後に起こるあらゆるトラブルを100%抑えることは実際にはできませんし、「糸」だけが手術の成否を分ける要因でもありません。しかし、「どの糸を使用するか」ということに、ちょっと気を使うだけで、これらのトラブルの何割かが解消されることも事実です。ここでは、一般的に手術に使用される「糸」の種類と、使用目的に応じた「糸」の使い分け、そして当院での(原則的な)「糸」の使用方法について、ごく簡単に紹介します。

 

《糸の種類》

 

◆「溶ける糸」と「溶けない糸」

手術後しばらく経って、生体に吸収されて無くなってしまうタイプの糸を「溶ける糸」=吸収糸と呼びます。「生体内の糸を分解して吸収する」というのは一種の免疫反応ですから、吸収糸を使用するとある程度の「組織反応」が見られます(組織反応があるからこそ糸が吸収されるのです)。通常この反応は軽度であり、組織内でゆっくりと進行するので、外からは判りません。
吸収糸にはカットガット*と言う「牛の腸」を原料とした天然素材の糸と、合成吸収糸とがあります。カットガット*は張力が弱く、組織内での張力の持続力が短く(早期に分解・吸収されるため)、組織反応が強く起こるため、特殊な用途以外ではあまり最近では使用されなくなりました。またカットガット*は1本ずつ滅菌されたパッケージに入っているのではなく、アルコールで満たされたカセットに入った糸をその都度必要な分だけ切って使うため、汚染される危険性も高く、したがって現在当院では使用しておりません。
合成吸収糸は、その素材の種類により多少の違いはありますが、一般的に張力が強く、組織内での張力の持続期間も数週間と長く、3ヶ月から半年くらいかけてゆっくりと吸収されます。カットガット*よりもしっかりと確実に縫合でき、組織反応も少ないため、一般的には合成吸収糸が使用されています。

これに対して、生体に吸収されないタイプの糸を「溶けない糸」=非吸収糸と呼びます。非吸収糸には「絹糸(けんし)」や「ナイロン糸」、その他の素材のものがあります。細いステンレスワイヤーなどを縫合に使用する場合もありますが、これも非吸収糸に含まれます。絹糸はその字のとおり、シルクから出来た天然素材の糸であり、生体にとっては異種蛋白なので比較的強い組織反応を示します。これに対してナイロンやポリプロピレン、ステンレスなどの合成非吸収糸は殆ど組織反応を示さないと言われています。しかし、経験的にはこれらの非吸収糸でも、異物反応を起こす個体が時として見られますが、絹糸と比較すればその危険性は非常に低いと考えられます。

 

*カットガットは2000年12月以降発売中止となりました。

 

 

◆「ブレード」と「モノフィラメント」

タコ糸や裁縫用の糸のように、細い繊維が何本も束になって1本の糸となっているタイプの糸を「より糸」=ブレードと呼びます。ブレードは術者にとって非常に扱い易く、しっかりと縫合・結紮が出来るという利点がありますが、細菌による汚染が生じやすく、特に絹糸は術後の縫合糸膿瘍の主な原因となっています。絹糸は、1本1本のシルク繊維が非常に細く、その繊維どうしの間隔はちょうど、「細菌」は入り込めても「白血球」は入り込めないサイズになっています。つまり、この中に細菌が入り込んでしまうと、生体の白血球は細菌を捕まえて食べることが出来ず、細菌にとっては格好の隠れ場所になってしまうのです。従って、絹糸による縫合糸膿瘍は「糸」そのものを取り除くまで、半永久的に繰り返されることになります。

 

これに対してモノフィラメントは、複数の糸を寄り合わせたものではなく、単一の「ツルッ」とした1本の糸で出来ています。つまりこの糸の中には「細菌が入り込む」スペースがありません。このため、細菌による汚染を起こす危険性が低く、汚染を伴う手術ではもちろんのこと、通常の手術でもできるだけモノフィラメントの縫合糸を使用することが推奨されます。

 

これらは何れも合成吸収糸。上の2つがモノフィラメントで、一番下のものがブレードタイプの吸収糸

こちらは非吸収糸。一番上がポリプロピレンの針付き縫合糸。真ん中がナイロン糸で、一番下が絹糸。

 

 

◆使用目的に応じた使い分け

糸の使い方も時代により変わります。昔は手術用の糸と言えば「絹糸」でした。絹糸はとても扱いやすく、丈夫であることから、血管の結紮や開腹したお腹を閉じる際の腹壁の縫合に使用されたりしていました。さすがに現在、皮膚を絹糸で縫うことはまずありませんが、腹壁を絹糸で縫合している病院はまだ時々見かけることがあります。以下に、縫合糸の「昔の常識」と「新しい常識」を箇条書きにしてご紹介します(個人の見解です)

 

「昔の常識」

・ 血管や管状の臓器の結紮には絹糸を使う(滑って抜けるといけないから?)。
・ 血管の結紮に吸収糸を使ってはいけない(早めに溶けると出血するから?)。
・腹壁の縫合には非吸収糸を使う(吸収糸は強度が弱いから?)。
・腹壁は 単純結節縫合する。その際、腹膜を同時に縫合することを忘れてはならない(学生の頃は『腹膜を絶対に拾うべし』と習いましたっけ)。
・皮下(脂肪)組織は吸収糸で縫合し、最後に皮膚をナイロン糸で縫合する。

 

「新しい常識」

・ 血管の結紮には合成吸収糸、非吸収糸の何れを使用しても構わない。しかし絹糸はできるだけ使用しないこと。
・腹壁の縫合は合成吸収糸、非吸収糸の何れを使用しても構わない。しかし絹糸は使わないこと。
・腹壁の縫合は単純結節縫合でも連続縫合でもどちらでも良い。
・腹壁を縫合するときには、腹膜を拾うべきではない。腹筋の筋膜をしっかり縫うことが重要である。
・皮下組織は吸収糸か非吸収糸で縫合する。できるだけブレードは使用しない。

 

内容が少々専門的になりますが、「単純結節縫合」とは、縫合糸を1回ずつ結んでは切る方法で、時間はかかりますがしっかりと縫合することができます(と考えられています)が、結び目が沢山できます。連続縫合は組織に連続的に針・糸を通す方法で、すばやく縫合することが出来ます。腸管や膀胱など液体が漏れては困る場合の組織の縫合には、密閉性の高い連続縫合を使用します(これも、昔は単純結節縫合とされていました)。
腹壁を縫合する際に、「腹膜を拾ってはいけない」というのは、獣医師でも驚かれる方が沢山いることと思われます。私自身も学生のときには「絶対に腹膜を拾うこと」と教えられましたし、恐らく現在も学校の授業ではこう教えられているのではないでしょうか?しかし現在では、腹膜を縫合すると術後の傷に痛みを生じること、腹膜炎の発生率が上昇すること、腹腔内臓器と腹壁の癒着が起こる確率が高いこと、などが判明しており、また腹膜の再生は非常に早く縫合の必要がないこと、縫合することで却って腹膜に余計な損傷を与え、治癒を阻害していることなどが指摘されており、閉腹の際には腹膜を拾わずに、腹筋の筋膜をきちんと縫合すること(縫合糸が腹腔内に出ないようにすること)が大切である、というのが新たな常識となっています。
皮下組織を吸収糸(または非吸収糸)で縫合するのは今も昔も同じですが、脂肪織をあまり「がっちり」深く縫合し過ぎると、脂肪の虚血性壊死を起こしたりすることがあります。皮下脂肪というよりも、真皮層をしっかり縫合することが大切です。

 

◆当院での「糸」の使い方

以上からも判るように、糸の使い方や縫合の仕方には時代により色んな常識があります。どの時期の「常識」を取り入れたかにより、術者によって多少の違いが出てくるのはある程度仕方当然のことです。また、自分では「古い方法」であることが判っていても、「今までこの方法で問題が起きたことが無い」と言う理由で、新たな方法に変える必要性を感じない、という場合もあるでしょう。確かに、医療材メーカーから「手術用絹糸」が売られていることからも、手術に絹糸を使用すること自体は「間違い」ではないのですが、生体に残る部分にはなるべく使用しないなど、使用方法には気を配る必要があると思われます。

 

当院では、

「縫合糸による汚染・感染を防ぐこと」
「縫合により不要な損傷を組織に与えないこと」
「縫合により組織の修復をできるだけ妨げないこと」
「生体内にできるだけ異物を残さないこと」

などを目的として、縫合糸の使用方法について、原則的に以下のように考えています。

 

・血管などの結紮には合成吸収糸、または非吸収性のモノフィラメントを使用する。
・原則的に絹糸は使用しない(腫瘍などの「取り除く部分」には使用することがあります)。
・腹壁は合成吸収糸による連続縫合 で、腹筋筋膜をしっかりと縫合する。

 

実際の手術では、その場その場で「最も適切」と思われる縫合糸や縫合方法を選択することになりますので、場合によっては必ずしも、この使用原則に従うことができないケースもあるかもしれません。しかしながら、通常の手術では殆ど全ての場合、この原則に従って縫合糸を選択しています。