ブログ・コラム
Blog「生食(なましょく)」ブームについて
2005.08.06(土)
■ 「生食」とは何か?
「生食」、一般的には「なましょく」と呼ばれているようです。様々な人がそれぞれの解釈で「手作りフード」や「無添加フード」と称する食餌を独自に(?)編み出しているのが現状ですが、ここで定義する「生食」とは特に、BARF dietに代表される「生の骨や肉、内臓に野菜などを足して与える」という方法を指すことにします。BARFとは、Biologically Appropriate Row Foodの略と言うことですが、90年代初めにオーストラリアのとある獣医師が提唱した食餌法だそうです。「犬の家畜化」の過程において、約1万年前から犬は人の集団が排出する「ゴミ」を摂取するようになり、人の食べ残しやゴミ、排泄物を食べる生活を開始したそうです。この時点での犬の食餌を原点とし、この食餌内容に最も近い成分になるように、生の骨や肉、内臓などを適量に調整して与えるのが「最適の食餌である」とするのが所謂「生食」dietと言う訳です。
■ 「最適の食餌」の根拠は?
ここでまず疑問なのは、「犬にとって最適な食餌」が何故「1万年前の人の食べ残し」なのかと言うことです。そこから「犬の家畜化」が始まったから、と言うのは一見納得できそうな理屈ですが、「犬」と言う動物自体の歴史は1万年前から始まったわけではありません。それ以前の何十万~何百万年も前から少しずつ進化し続けて来たのです。たまたま1万年~1万5千年前に、人の集団に近づいて生活するという一群が現れました。人の集団と共に生活することは双方にメリットをもたらした訳ですが、特に犬にとってのメリットは「食料の安定供給」が得られると言うことでしょう。狩猟をしなくても「ゴミ捨て場」を漁れば食料にありつくことができるのです。肉食動物にとって「狩猟」と言うのは非常に不確実でリスクの高い摂食方法です。数日間も食餌にありつけないこともあります。狩猟で自分たちが怪我をしたり命を落とすこともあります。餓死することもあります。このようなリスクを冒すよりは、とりあえず安定して食料を得ることが出来る「人間との生活」を選択するのは「生存する」うえでは賢い選択でしょう。しかしこの食餌が「犬にとって最適」かどうかは判りません。効率よく生存するために仕方なく選択した生活様式で得られる食餌が何故「最適」なのか?何故それ以前でも以後でもなく、「1万年前の人の食べ残し」が最適なのか?根拠がまるで不明なのです。あたかも「犬は人の食べ残しを食べるために生まれて来た動物である」と言うような、西洋的(?)な人間中心の発想が根底にあるような気がしてなりません。
■ 「加熱調理」は問題か?
生食を推奨するもうひとつの理由として「犬はもともと加熱調理した食餌を食べる能力が低い」という意見が挙げられているようです。これは特に科学的根拠がある訳ではないのですが、「当たり前」と言えば「当たり前」…犬が自分達で捕まえた獲物を捌いて加熱調理するわけがありません。しかしそれを言えば、人だって肉や野菜を加熱調理して食べるようになったのはこの数万~数十万年のことで、火を使うようになる前は「生食」だったのです。それならヒトだって加熱調理したものを食べないほうがよい、という理屈になります。現在、肉や魚などを「生」で食べる習慣を持つ国は、世界でも日本をはじめほんの一部の国だけです。しかも「主な蛋白源」として、毎日牛刺しや馬刺しを食べているわけではありません。確かに生で食べることのメリットもあるのでしょうが、本来は動物の肉や内臓を「生で食べる」と言うことは非常にリスクを伴うことです。生のほうが消化に悪いものもありますし、様々な寄生虫やウイルスなどの病原体に感染する可能性も決して低くはありません。このようなリスクを回避し、より安全に効率よく食餌をする為の方法として「加熱処理」が極めて有効なのは周知の事実です。
■ 「自然・野生」に対する幻想
人や犬・猫を含めて、元々「野生」で生活していた頃の食餌が生物学的に最適なものである、というのは一見理に適った考え方です。しかしこのような考え方の根底には、「地球」とか「自然」と言うものに対する「甘い幻想」が流れているように思います。実際には「自然」とは厳しく辛いものです。地球は決して人や動物に対して甘くも優しくもありません。自然は常に生物に試練を与え、絶滅に追いやろうとする生物学的圧力を与えます。この圧力が原動力となって生物が進化するわけですが、進化とはつまり「弱肉強食・適者生存」そのもののことです。決して「最適」ではない環境の中でも、何とか(他者を排除してまで)蔓延り、生き残って来たのが私たちを含めて現在地球上に生存する生物です。残念ながら、野生動物が仲良くのんびり幸せに生活している、というのは漫画やおとぎ話の世界の出来事でしかないのです。
植物・動物に限らず、他者を「食べる」と言うこと無しに、われわれ動物は生存することが出来ません。しかしこの「他者を食べる」と言う行為には、必ずリスクが伴います。多くの植物には毒物が含まれていますし、動物を食べることで寄生虫や感染症やアレルギーを起こす可能性もあります。発癌性物質や中毒物質として多くの天然の物質が知られています。100%安全な食物は地球上に存在しません。しかしこれらの食物の持つ「毒性」や「危険性」をなるべく希釈し、拡散し、リスクを分散(例えば品種改良したり、毒性の少ない品種を選別したり、調理・加工したり、1種類のものだけを食べるのではなく色々なものを少しずつ食べるようにする、など)させて私たちは現在の比較的安全な食餌を選択しているわけです。
■ 「ペットの食餌」流行の変遷
一昔前までは、犬や猫に「ペットフード」を与えると言うのはそれ程一般的ではありませんでした。日本には「猫まんま」と言う言葉がありますが、昔は人の食べ残したご飯に味噌汁をかけただけのものを犬や猫に与えていたのです。こんな「低蛋白」の食餌では当然犬や猫の栄養要求を満たすはずがありませんが、おそらくこの時代、犬や猫たちは屋外で自由に蛙やネズミなどの小動物を捕まえて食べたり、それこそ「ゴミ・残飯」をあさったりして何とか生き延びていたのでしょう。このような時代を経過し、やがて「ペットフード」と言うものが開発されました。当初のペットフードは「栄養学」などという発想は殆ど無かったはずなので、現在のフードに比較するとかなり粗悪なものだったのでしょう。色々な栄養素の欠乏症を引き起こしたりすることも稀ではありませんでした。やがてアメリカのHill’sという会社が、専門家の獣医師による研究成果を取り入れながら、動物の栄養学という分野を確立し、これを基に栄養的に優れたペットフードを開発するに至りました。その後、色々なメーカーが「栄養学」を基に沢山の種類のペットフードを作るようになったのは誰もがご存知のことでしょう。
そして現在は、これらの「ペットフード」にも「原材料」とか「添加物・保存料」などに関して問題がある、という意見を持つ人たちが増えてきており、より安全で「自然」なフードを与えたいと言うことで、「無添加フード」や「ナチュラル・フード」などと称する(これらの言葉には定義がないので、詳細な意味は不明です)ペットフードが多く出回るようになりました。さらにその中でも、より強い「拘り」をもつ人たちは、「ペットフードなど体に良いわけが無い、生の肉・骨・内臓などを与えるのが自然本来の食餌なので体に良い」という考えを持つに至り、「生食」が(一部で)熱心な「信者」を獲得するようになったようです。
■ ドライフード(ペットフード)は悪者か?
では、ドライフードなどを中心とする所謂「ペットフード」は本当に「体に悪い」のでしょうか?実はこの答えはそう簡単には出るものではありません。但し、はっきり言えることは、野生の状態で生活している動物や、「ペットフード」以前の「猫まんま」に近い食餌をしている動物に比較して、ペットフード中心の食生活をしている動物の寿命は確実に長くなっている、と言うことです。これは当然、食餌以外の要因も沢山あるのですが、少なくとも「野生・野良」状態の食餌や生活環境が動物にとって(個体が健康で長生きする、と言う意味に於いて)決して最適なものであるとは限らない、と言うことが言えるのではないでしょうか?
もちろん現在のペットフードが「完璧」なものであるとは思いませんし、いろいろな問題を抱えているのは事実です。しかし、ここ数年の犬・猫の寿命の延長や栄養関連の疾患の減少など、動物たちが長く健康に生きるようになった状況を生み出すうえで、ペットフードが果たしている役割は多大なものがあると言うことは現実として認識しなければなりません。
「ペットの病気は増えているのではないか?」と思われる方もいることでしょう。しかしこれは一概には言えません。昔は栄養性疾患や寄生虫病、感染症などの、どちらかと言えば「単純」で「重大」な病気が多かったのですが、近代では内分泌疾患やアレルギーなどの免疫疾患、高齢に伴う腫瘍性疾患など複雑な病気が増えています。これは人間でも同様のことで、医学が発達すると遺伝性疾患が増えるというジレンマはどうしても避けることが出来ませんし、寿命の延長に伴って高齢疾患が増えるのも、ある意味では当然のことと言えるでしょう。これを「食餌のせいだ」「ペットフードのせいだ」と言うのは一見分かりやすいのですが、科学的・統計学的に証明されている訳ではありません。
■ 「食品添加物」は危険なのか?
人の食物を含めて、多くの食品には保存料などの「食品添加物」が含まれています。食品添加物そのものは、もちろん「体に良い」物ではありません。しかし、
「食品添加物が入っている」=「体に悪い」
「無添加」=「体に良い」
という単純な発想は、かえって危険なこともあります。
日本の環境問題は、高度成長時代の60~70年代が最悪の状態でした。最近問題になっている「石綿」なども、この時代に最も頻繁に使用されていました。これは食品に関しても同様で、この時代には様々な保存料や合成着色料などが、それ程の規制もないままに使用されていました。これにはある程度の理由があって、それ以前の時代は人々はほぼ「自給自足」に近い形の食糧供給をしていたのですが、高度成長に伴って人口が増加し、反対に食料自給率は低下しますので、それ以前のような「必要な分だけ作って、余った分は腐るに任せるか肥料にする」と言うような原始的な食糧供給形態ではとても足りなくなってしまったのです。そのため、出来るだけ多めに農作物を作って保存・加工することで供給量を賄い、余って腐らせてしまう食料を出来るだけ減らす、という必要が出てきます。このために保存料や防腐剤は必要不可欠であり、安定した食糧供給のためには欠かせないものとなったのです。また保存料には、食品の腐敗による食中毒やカビによる健康被害、虫食いなどを防ぐ効果もありました。
高度成長の時代が終わって生活が豊かになり、健康や食品の安全、という分野まで意識するような余裕が出てくると、当然ながら「添加物は危険なのではないか?」と言う発想が出てきます。そして保存料や防腐剤、農薬に関する見直しや規制が年々厳しくなり、現在ではかなり安全性の確立したものだけが使用されるようになっています。2005年現在、30年前に比較して食品を取り巻く環境はかなり改善されています。保存料を使わずに、古くなったり酸化したり、カビが生えたものを口にするくらいなら、安全性試験に基いた適正な保存料の添加された食品を摂取するほうが遥かに安全です(カビ毒の発癌性はどんな化学物質にも勝ると言われます)。
これは人の食品に関する話ですが、ペットフードの場合は人の食品のような明確な「法規制」が無いため、「何でもあり」と言う状況であることは否めません。そしてこれは、各メーカーが公表しているデータを信用するしかないわけです。小さくて名前も聞いたことが無いようなメーカーのものはやはりあまり信頼度が高いとは思えません。大きくて名前の通った企業なら無条件で信頼できるか?と言えばそうとも限りませんが、最低限AAFCOの基準を満たしているもので、獣医栄養学の専門家が開発に携わっているような、獣医療と動物の健康に貢献してきた実績のあるメーカーと言うことなら一定の信頼がおけると、個人的には思っています。「添加物は一切入っていない」と言う謳い文句は信憑性に欠ける(もし本当なら「短期間で腐るのではないか?」という心配がある)ものですが、「添加物として何がどれだけ入っているか」と言うことが判っていれば、その方が却って「安全性が保障されている」ということになるのではないでしょうか。
■ 「手作り食」でAAFCOの定める栄養要求を満たすことが出来るか?
この答えはYesでもありNoでもあります。物理的には可能でしょう。様々な食材を集め、栄養成分をチェックし、全ての項目において必要量を満たすように計算したうえで、全体のカロリーを適切に調節する。足りない栄養素は添加物として調節する。当然ながら特定の成分が過剰にならないように注意する必要がありますが、そのためにカロリーまで減らしてはならないので、何かを減らしたら他の成分を増やさなければならなくなります。これはなかなか複雑な「パズル」です。犬や猫を飼っている方の多くが1日24時間のうち、その殆どの時間を「ペットフード作り」に割くことが出来るような優雅な生活をしている方ばかりではないでしょうし、栄養学の専門的な知識を持った人ばかりでもないでしょうから、「適切な、正しい手作り食」を作るために生活のほぼ全てを犠牲にするのはあまり賢い考え方ではないように思われます。また、せっかく長い時間をかけて出来上がった手作り食が、よく調べてみたらバランスの悪いものだった、と言うことも珍しくありません。100%の手作り食で上手に栄養管理が出来る人と言うのは、恐らく一般の飼い主の方の中の、1割程度もいないのではないでしょうか?
栄養学の専門家でさえ、長年かけて研究・開発して得られた「バランス・フード」の栄養配合を、私たちのような栄養学の素人が一朝一夕にうまく作ることが出来る、と考えるほうが無理があるのではないでしょうか?つまりこの問題は、必ずしも「不可能」ではないけれど、失敗するリスクが非常に高い、ということだと思います。
■ 「環境問題」をどう考えるのか?
ペットフードの問題を考える際に、環境問題なんか考える必要があるのか?と思われることでしょう。確かに蛇足かも知れません。どうでも良いこと、かも知れません。しかしこの「生食ブーム」「自然食ブーム」という流れの中には、人の食品事情における「無農薬・有機野菜ブーム」「自然食品ブーム」と同じ発想が、根底にあるような気がしてならないのです。「自然」が安全とは限らない、と先に書きましたが、同様に「無農薬野菜」「有機野菜」が「普通の野菜」よりも安全で健康によい、という科学的根拠はありません。もちろん輸入品などで、規制対象となっている農薬を使用している場合などは「危ない」のが当たり前ですが、これは「普通の野菜」と言う範疇には入れないのが当然でしょう。決められた農薬を決められた方法で使用している限りにおいては、かなり安全と言うことができます。それでも所謂「有機野菜」を有難がると言うことは、これらの食品は一種の「贅沢品・嗜好品」と捉えることが出来ます。無農薬野菜・有機野菜を作るためには、通常の野菜を育てるよりも多くの費用・労力;つまり多くのエネルギーが必要です。有機野菜を育てるための有機肥料も、河川などに流れ込んで環境汚染を起こすこともあります。やはり「贅沢品」を使用することは環境負荷が大きい、ということです。もしも私たち人間の食べるもの全てが生の野菜、肉、魚などで、一切加工品を使用しないとしたらどうでしょう?スーパーに並んでいる食品全てが「無農薬・有機野菜とそれらで育てた家畜の肉」だとしたらどうなるのでしょう?日持ちがせずに余った食品は全て腐ってしまい、廃棄することになります。天候や害虫被害などによる作物の不足はすぐさま食糧不足を引き起こします。不足を補うために、より多くの土地を農地として開墾する必要が出てくるかもしれません。意外に思われるかもしれませんが「農地」と言うのは立派な環境破壊です。「地球に優しい」というフレーズと「自分たちの体に優しい」ということは、同じ「エコロジー」と言う言葉で括られてしまう傾向がありますが、実は、原則的に「相反する」ものであると言うことを理解しなければなりません。私たちが「それなりに」安全な食生活をしながら、「それなりに」環境の汚染を防いで生存してゆくためには、環境負荷の大きい「贅沢品」を追い求めるのではなく、効率の良い、無駄なエネルギーロスの少ない生活、と言うのも少しは考えて行かなくてはなりません。
私たち人間が「環境負荷」の大きい「自然食品」を追い求め、さらに犬や猫にまでこのような食材を日常的に与えるとなると、一体どのようなことになるのでしょうか?現在日本国内の犬・猫の飼育頭数はそれぞれ1000万頭を越えています。これら皆が「自然食品」を使った「生食」を始めたとしたら、一体どれだけのエネルギーが余計に消費されることになるのか?ちょっと気になるところではあります。
■ ではどのような食餌を与えたらよいのか?
最適な食餌は何か?と言う疑問に対する明確な答えは結局のところありません。コアラにとってはユーカリの葉が最適であることは疑いようがありませんが、犬や猫などの動物は、限られた環境でただ1種類の食物だけを食べて生きてゆくようには進化していません。繰り返しますが、100%安全な食物は、地球上には存在しません。私たちが一生のうちに摂取する発癌性物質の多くは、保存料や添加物に含まれるものではなく、野菜などの食材に元々含まれている成分であると言うことが知られています。どんな食物でも、アレルギーを起こすリスクはゼロではありません。ある「自然食品」関連のサイトで目にしたのですが、「アレルギーの多くは蛋白質が原因なので、パイナップルやパパイヤに含まれる蛋白分解酵素を一緒に摂取するとアレルギーが起きない」と言う意見は、「酵素」自体が立派な蛋白質であると言うことを忘れています。医薬品でも、酵素剤はアナフィラキシーを含む激しいアレルギーを起こす可能性があるので、注意する必要があると言うのが一般常識です。
比較的安全な食生活を送るために大切なことは、「拘りを持たない」と言うことです。何かひとつの食材やサプリメント、栄養剤に拘って、毎日同じものを摂取すると言うのは、リスクの分散と言う意味からしても、アレルギーの発現ということを考えても、決して安全性が高いとは言えません。例えば、ビタミン欠乏症でもないのに毎日ビタミン剤を摂取するのは危険なこともあります。食糧不足の時代ならいざ知らず、飽食のこの時代に、小学生に肝油ドロップを毎日与えることが「安全」とは考え難いのではないでしょうか?もちろん全ての食物が「毎日摂取したら危ない」と言う極端なことを言っているわけではありません。日本人は「ご飯」と「味噌汁」を毎日摂取しても安全なことは、歴史が証明していますし、主食となるようなものは比較的安全だと考えても大丈夫でしょう。ペットフードだって、それなりに信用のおけるメーカーのフードなら、長期間与えても安全なことは給与試験が証明していますので、その範囲では「問題ない」と考えられます。1種類のフードだけでは心配、ということなら、幾つかのメーカーのものや、異なる種類のフードを時々ローテーションで入れ替えながら与えても良いでしょう。その方が「リスクの分散」が出来るかもしれません。現に私の場合、自分の家の犬には幾つかの種類のフードを、その時々で替えながら与えています。時には加熱調理し肉や野菜を少量与えることもありますが、日常的には与えていません。つまり「これと言った拘りを持たない」と言うのが拘り、と言うことです。
もちろん、特定の疾患などを持っていて、療法食による食事管理が必要な動物の場合は、「色々なフードをローテーションで与える」ことにより病気が悪化する可能性がありますから、決められた療法食を与え続ける方が「リスクが少ない」と考えられます。
■ まとめ
私は、「生食」や「自然食品」(実はこれは定義が曖昧)が「危ないからいけない」といっている訳ではなく、ペットフードが100%安全である、と言っている訳でもありません。しかし同時に、ペットフードが体に悪くて「生食」が絶対に安全、と言う考えにも少なからず疑問を持っています。「地球温暖化」ではないですが、現代の文明的生活に警鐘を鳴らすこと自体は良いのですが、変に終末思想を煽るような言文が世界的に流行しているような気がします。食物の「自然回帰」と言うようなこれらの風潮も、その流れのひとつのような気がしています。あまり極端な意見に惑わされず、現実的に、合理的に情報の信憑性・正確性を判断することが大切なのだと思います。答えが出ないときには、態度を保留することも決して間違いではないでしょう。